現在地

ではその小鳩ちゃんはどこから?

 

 
このエントリーをはてなブックマークに追加

Twitterボタン

 

この記事の平均評価: 
0
まだ投票はありません
(下のコメント欄からご投票ください。)

だとすると、ここで大きな問題が発生する。ポーランド王国がドイツ騎士団を支配下に置いた第二次トルンの和約が1466年。この時点でロールキャ ベツがこの地域で民間伝承になるほど広まっていたとしたら、一体これはどこから来たのだろう。まだコンスタンチノープルは健在で、キリスト教徒にとってトルコは敵性国家である。そんな敵性国家から入ってきたばかりの料理が、果たして民間伝承に使われるほど広まるものだろうか。私にはどうも信じがたい。

では、どうやって入ってきたのだろうか。ロールキャベツが中央アジアから入ってきたのだとすると、可能性は、フン族とともに入ってきたブルガール人が持ち込んでブルガリアで定着させたか、マジャール人が持ち込んでハンガリーで定着させたか、モンゴル人とともにやってきたトルコ系民族が持ち込んだか、といったあたりになるのだろうか。そのうち、モンゴル人は中欧地域からはあまりに早く去ってしまったため、料理を定着させるのは難しかったような気がする。するとブルガール人かマジャール人ということになるのかもしれない。ここからはまた言葉から想像が飛躍するが、どちらもそれぞれ持ち込んだのかな、という気がする。ブルガール人はサルマを持ち込み、南スラヴ人と交わる中で、それを広くバルカン地域に広げた。ただ、それが最初からロールキャベツだったかどうかはわからない。ブルガリアでロールキャベツがZeleva Surmaつまりキャベツサルマと呼ばれているということは、サルマはキャベツで包んだものだけをさしているとは限らないのかもしれない。一方マジャール人はサルマという言葉を使わずに、自分たちの言葉でToltott Kaposztaつまり巻きキャベツと表現している。彼らの独自の食文化として葉物で巻いて食べるというやり方を持っており、この地でキャベツと出会って巻きキャベツという料理を作ったのかもしれない。古代マジャール人がドン川周辺でトルコ人やブルガール人から料理の仕方を学び、ロールキャベツはその古代 マジャール人から受け継がれてきた料理だとの記述がある。つまりオスマントルコ以前の、しかも小アジアではないトルコ人との交流を通じて、ロールキャベツ を作り出したのだろう。時期的には10世紀以前にはもう成立していたのではないだろうか。あるいはもっと早いのかもしれない。実はオスマントルコ人は、バルカン半島に入ってはじめてサルマ、そしてロールキャベツを発見したのかもしれない。トルコ語に巻物としてのドルマ、野菜巻としてのサルマ、そしてロールキャベツとしてのラハナドルマという表現 があるのは、それぞれ入り方が違うかもしれないからだ。いずれにしても、ロールキャベツをいわゆる(オスマン風)トルコ料理だと理解するのは誤りかもしれない。

北部のスラヴの地へは、トルコ系民族から直接入ったのか、それともビザンツ文明との接触を通じて入ったのか、もしくはブルガリア人を 始めとした南スラヴ系の民族を経由して入ったのか。それは良くわからないが、いずれにしても、西ヨーロッパで結球キャベツが認識されるよりも早く食べ始め ていたことはほぼ間違いないのではないだろうか。

まだ判らない部分は多くあるが、現状はこのように理解している。

2011年8月28日 追記
支配期間の長さで言えば、フン族の後にやってきたアヴァール人の可能性も排除することはできず、なんにしても、ケルト以来のキャベツ食の伝統を持ち、遊牧民が何度も通り過ぎ、支配していったこの地域のどこかで、そしてどこかの時点で、その二つが何らかの化学反応を起こしてロールキャベツが出来上がったのだろう。そしてそれは大発明といった部類のものではなく、とても自然に、当然の帰結のような形で成立したのだろう。
 

-------------------------------------------------------------

スポンサードリンク

Custom Search

お店情報

東三河地域で自慢のロールキャベツを提供しているお店です。

メルマガ登録

ウェブサイトに先駆けてレシピなどを
ご紹介するメルマガも
併せてお楽しみください。
(毎週土曜日発行予定)


読者購読規約

powered by まぐまぐ!

Facebookはこちら

このエントリーをはてなブックマークに追加

 

スポンサードリンク

コメントをどうぞ

Plain text

  • HTMLタグは利用できません。