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キャベツの渡来

 

 
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キャベツ、というべきか、いわゆるケールが日本にやってきたのは、江戸時代の宝永年間(1704-11)だといわれる。1709年に出版された貝原益軒の「大和本草」に紅夷菘(オランダナ)として、「葉大にして光無く白けたり。花は淡黄色にして羅蔔花の如し。味佳し。植えて後三年にして花開く。これ菘(白菜)の類なり。」とある。大場秀章氏は、味佳しと記されているが、結球との記述がないことから食用のケールであろうとしている。しかし、これは食用として発展した記録はなく、観賞用の葉牡丹として発展したようだ。横井敏時(1710-61)という尾張藩士が花卉として葉牡丹の栽培法を記述していることから、尾張地方にはキャベツの栽培のためのノウハウのようなものがこの時期から積み上げられてきたといえるのかもしれない。

その後、食用 としての栽培は、安政2年(1855)ころに伝わり、横浜と函館で栽培したようだ。これは日本に来ていた外国人が自家消費用に持ち込んで作ったもので、日本人に広く普及するということはなかったようだ。明治初年から新宿御苑、三田育種場、北海道開拓史などに導入され、本格的にキャベツとしての栽培が始まった。しかし、日本の気候に適合させるには時間がかかり、昭和にかけて順次品種改良が重ねられ、第2次世界大戦で外国からの種子の輸入が途絶えたのを機に国産野菜としての地位を固めたようだ。

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