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結球キャベツの成立

 

 
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結球キャベツについても、いろいろ調べてみてもなかなか良くわからない。その起源について、いくつかの説はあがっていた。紀元前後にイタリアで始まったという説、12世紀にドイツ南部で生まれたという説、13世紀にイギリスでできたという説などがある。

イ タリア説は、恐らくサヴォイキャベツの元となるようなものがかなり早い時期からできていたのではないかと考えられる。ただしこれは今のサヴォイキャベツに も見られるように、恐らく暑さや湿気に弱いもので、栽培は難しかったのだろうと思われる。そして薬草としての薬効や味の面でも恐らく非結球性のケールのよ うなものとそんなに大差がない、もしくは劣るようなものだったのではないかと思われる。そうであれば無理をして結球性のキャベツなどは作る必要がなく、ものめずらしいぜいたく品としてのちょっとした需要はあったかもしれないが、大々的に生産を広げる必要はなかったのではないかと思われる。

12 世紀ドイツ説は少し根拠がわからないのだが、13世紀のケルンの聖アルバートが言及していることをさしているのかもしれない。だとすれば、それは記録がはじめて残ったときであり、初めて作られたことを意味するわけではないのだろう。13世紀イギリス説も細かいことはよくわからないが、14世紀にイングラン ドでキャベツという言葉が始めて使われたことをさしているのかもしれない。これも言葉が使われたということであり、結球性キャベツがはじめて作られたとい うことを直接意味することではないだろう。イギリスとのかかわりでもう一つ興味深い説は、17世紀にアントニー・アシュレー卿がスペインのカディス港から キャベツを持ち帰ったために、それがキャベツの語源になったという説もあった。しかし卿がキャベツの普及に尽力したことはあったかもしれないが、時期的に見てもそれがキャベツの語源になったということはないだろう。

私の仮説では、最初の方にも少し書いたが、結球性キャベツは、非結球性のキャ ベツとは別のルートで寒冷地に適応し、恐らくローマ時代には既にアルプス北部では自生していたのではないかと考えている。そしてケルト人は恐らくそのこと を知っていたし、食料として活用していたのではないだろうか。ローマ人も、ものめずらしさからそれを栽培しようと、比較的寒冷なサヴォイ地方などで栽培を 始めたものの、気候的な難しさと、その努力に見合うほどの見返りがえられないことなどからこれを大して重視しなかったのではないだろうか。その後、ローマ帝国は崩壊し、記録も散逸したことにより、結球性のキャベツ自体への関心はすっかり薄れ、中世が過ぎていった。そして中世も末期に入ったころになり、アル プス以南やライン以西の人々がゲルマンの地に入っていろいろ観察する中で、結球キャベツを”発見”したのではないだろうか。そしてそれは次第に温暖な低地にも適応できるよう工夫され、イギリスに渡って重宝され、さらには寒い新大陸での貴重なヴィタミン源として爆発的に広がっていったということではないのだろうか。

2011年8月28日 追記
前項の追記で書いたことの続きだが、アルプス北部でのケルト系民族の活動範囲は、おそらく結球キャベツがあっただろう地域とも重なっており、彼らがキャベ ツの利用法について先進的な知識を持っていただろうということも推測できる。紀元前後にイタリアで、という説は、アルプス北部からボイイ族が持ち込んだ、 ということなのではないだろうか。しかし、その後ドナウ南岸やパンノニアにも進出したローマの歴史の中で、キャベツがいったん歴史の中に埋もれてしまった というところはなかなか解釈に苦しむ。推測されるには、ゲルマン系の民族にはキャベツを食べるという習慣はなく、その文化に席捲されてしまった西ヨーロッ パでは完全にこの文化は消えうせたのではないだろうか。

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